~森かすが自己紹介ストーリー。前回まで~

(1)幼少~中学生時代。空虚な性格とアトピーとの関係

(2)大学生時代。はじめての『癒し』体験。

(3)卒業~就職。感情のコントロールがきかなくなる。

(4)キネスティックセラピーとの出会いと、されていやだったことの関係

(5)地獄のような日々。そして居眠り運転からの生還。

(6)変化への第一歩。わたしが大切にしたかった想いに気づく。

(7)自己紹介さいごに

【もういちど教会に。「まだ足りない」から解放された私】

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「もういちど教会にいきたいです。Tちゃんはいますか?」私は、Tちゃんにメールをしました。

 

久しぶりだったので、先に「行く」と宣言しておかないと、「やっぱりやめた」踵を返してしまそうだったからです。

 

Tちゃんは「ワタシは毎週おるよ。まっとるよ」と返してくれました。そして私は、およそ一年半ぶりに教会に足を踏み入れたのでした。

 

久しぶりの教会は、変わることなくあたたかく、Tちゃんがうれしそうに私にむかって手をふってくれました。

 

こんなに罪で薄汚れた私も、教会に入ることができた。私は、涙を留めることができませんでした。

 

礼拝が終わった後、Tちゃんにこれまでのことをカンタンに話しました。

「うち、こんなんで教会に帰ってきてええんかな・・・」

するとTちゃんは、私に、聖書からこんなたとえ話をしてくれました。

「放蕩息子の話、知っとう?」

放蕩息子のたとえとは、ルカによる福音書15章にて、イエスが弟子たちに話されたたとえ話のことです。

 

ある人に二人の息子がいた。父は二人に財産を与える。しかし弟は遠い国に旅立ち、そこで放蕩に生きて散財した。大飢饉が起きて、その放蕩息子はユダヤ人が汚れているとしている豚の世話の仕事をして生計を立てる。豚のえささえも食べたいと思うくらいに飢えに苦しんだ。

我に帰った時に、帰るべきところは父のところだと思い立ち、帰途に着く。父は帰ってきた息子を走りよってだきよせる。息子の悔い改めに先行して父の赦しがあった。

父親は、息子のために祝宴を開く。

『・・・このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』(ルカによる福音書15章32節)

ルカによる福音書聖書本文はこちら)

 

「神さまは、息子がいなくなったことをを咎めるよりも、帰ってきたことを一番に喜ばれるお方だよ」と。

 

こんなにどうしようもない私を、神さまは、殺さずに生かしてくれた。帰ってきたんだ。帰ってきたんだ。そう思いました。

 

【私にとって大切にしたいこと】

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「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マルコによる福音書 8章36節)

 

そこから紆余曲折ありましたが、私は退職を選びました。休みが日曜日に取れないことを考えると、また自分がむさぼりにのまれてしまうと思えたからです。

 

その時期から心療内科の先生よりドクターストップがかかり、休職を経てから退職することができました。

 

『辞めたら食べていけなくなる。食べていけなくなったら死ぬ』

 

と思い込んでいたのが、拍子抜けするかのように私は生き続けることができました。しかも、以前のように「まだ足りない」と思うのではなく、心の奥底からの喜びと充実感に満たされながら。

 

「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。」(詩編46章1節)

 

神さまはかくも、罪の中にあった私を叱り試練を与えつつも、助けへの伏線を張ってくださっていたんだな、と思いました。

 

休職していた間、私は聖書を読みつつ、次の仕事を何にしようか考えました。そんな中、信仰の友である教会のTちゃんを通して私は「コーチング」に出会うのでした。

 

コーチングとは、質問を通して、その人の価値観ややりたいことなどを洗い出していく技術です。さまざまな人のコーチングを受け、私は、自分にとって本当に大切なことに気づいていきます。

 

そこで考えたことはこんなことでした。

 

『薬も、病院の先生という存在も、私をラクにすることはできなかった。』

『あの怒涛の日々で私には、どうしても「カラダへのすみやかな癒やし」が必要なタイミングがあった。』

『今、この手にある技術・・・「キネスティックセラピー」は、とにかくほぼ即効と言っていいほどカラダを楽にすることができる。』

『与えるのではなく、元の根幹を整えるこの技術は、私の考えにとてもマッチしているものなんじゃないか。』

『私は、アトピー性皮膚炎という経験を持ち、そのため、色んな健康情報に知識もあるし体験もある。』

『私は健康にたずさわることなら、共感しながらお客さんとなる人にかかわれそうな気がする。』

『化粧品やサプリメントを売るのもしたくない。』

 

 

私は、これを機に自分自身で飲んでいたサプリメントを思い切ってやめてみたのです。高い化粧品で保湿するのもやめました。

 

思えば、自分が追いつめられていた要因の一つに、こういったモノへの呪縛があったと気づいたからでした。お金が減っていくストレスと、サプリメントや化粧品への効果をわたしのなかで天秤にかけたところ、【サプリメントや化粧品ををやめたほうが精神衛生上いい】と思えたからの洗濯でした。

 

するとどうでしょうか。

 

生活が落ち着いて食事を家で摂るようになっただけで、私のアトピーはいままでどんなに気合をいれて「プラスアルファのこと」をしていた時よりもよくなりました。

 

この世に「イイモノ」はたくさんあって、情報やモノが飽和している。こういった手段を独自で持ってしまうと、目の前にいる人の持っている問題を私がすりかえて自分の商品への誘導しかしなくなる。

 

それは私のしたいことではない・・・。

 

なら、独立しよう。

「プラスアルファ」ではなく、根本を整えるための仕事をし続けるために。

来てくれた人が「自分と向き合える」ような場所であり続けるために。

 

(キネセラもある意味独自の手段なのですが、『カラダへのリラクゼーション』とい比較的汎用性が高い技術だったので、私の中では納得ができる方向性でした)

 

「やさしいとまり木」・・・【やどり木】として、癒しを求めてくる人たちのエネルギーチャージの場所として、いつもいられるように。

これが、【やどり木】のコンセプトであり、

私が【やどり木】を始めようと思った、第一歩でした。

(7)自己紹介さいごににつづく)